アラフォーバツイチおっさんお埴輪ハオのブログ

離婚、実家へUターンしたアラフォーのいろいろ所感日記

今年はさんざんな1年だった

今年はさんざんな1年だった。振り返ってみても、人生の中で
かなり悪い方の1年だったと思う。

今年の前半は街コン活動に重きを置いていた。
結果はさんざんだ。
そりゃこんなスペックの男性は街コン界のカーストでも
底辺に位置するだろう。
大体12月くらいからスタートした。
2~3回目からやり方がわかって
連絡先を聞くことはかんたんなのだが、
街コン後全く連絡がつかないなんてのは
もうザラに起こり、結局人脈増えたかと
言われると増えてない。
今思えば勝てないフィールドで空回りしていた感がある。
移動費、参加費もバカにならんもんね。
良くタクシー乗って帰ってきたりしたので
大分金は溶けて行ったと思う。
多少顔見知りが出来たので
自分でも3-3程度の飲み会を実施したりもしたが、
それも全く結果が出せず。
数こなして出会いの回数を増やしていいのが
引けたらラッキーくらいでやってるんだろう。
そんなのガチャといっしょだよ。
人間関係育てていくってのは無いんだろうか。
決定的なのは女とちょっといちゃいちゃ出来たことがあって、
あからさまに男から嫉妬の炎を浴びたことがあった。
本当に怒らせてしまっていた。
もう理不尽極まりないと思ったよ。
そんなにオレがいることで
嫌な思いをする人が来るような集まりはうんざりだよ。
世の中には色んな人が居るったってこれは
もうオレのキャパ越えだ。
しばらく複数人初対面の人がいるような
飲み会は参加しないだろう。
完全に燃え尽きた。これはオレには向いていない。
人脈が広がらない。閉塞感がたまる。

夏を迎え、気温が上がってきた7月には姉が亡くなった。
遺書を残していたが母への恨みつらみが
積み重なったという内容が27ページにも渡って綴られていた。
母から聞いていた状況と姉の考えを
想像していてオレの思った通りだと思った。
ごく潰しなんて言葉も言われてたようで、
引きこもりへの対処としては
最悪手で追い詰めるだけでしかなくて
言っちゃいけない言葉だ。
姉は不安障害がひどかったらしい
。だから新しい仕事にも
馴染みずらく仕事を転々とした形になった。
遺書曰く理不尽にわけもわからず
怒られて育てられたらそうなるよね。って感じ。
全くもってオレにも思い当たる。
さいころ、母親はきちがいだった。
言われたことを正しく行っても
突然怒り出した記憶がある。
母親の気持ちは全く分からん。
まあ毒親というやつだ。
母は二人殺している。姉と父だ。
姉は姉がいなくなったらターゲットは
オレになるから
殺される前に家を出たほうがいいと
遺書にしたためてくれていた。
オレの収入的に家を出ようと思えば出られるが、
あたりまえだが実家暮らしの方が
お金に余裕が出てくるので
家を出る気が起きない。
母親ももう65だ。あと10年生きるかどうか。
10年後母が死んだら一軒家はオレのものになる。
そうなると出るに出られない。
俺はおそらくこの家からもう出られないと思っている。
閉塞感だ。姉を殺した母親と共に生活をしている。
生活と理想の妥協感が息苦しい。
見限られないのは金のせい。
金さえあれば状況が打破できるのに。
希望が見えるはずなのに。

もっと状況がよくなるきっかけになるはず
と思って志願したのが11月の長期出張だったが、
これも今となっては結果が出せず
ただの顔合わせで終わってしまった感が強い。
出張後の仕事状況も全く変化がなく
毎日毎日変わらない生活を送っている。
今のご時世堅い仕事に付けてるだけマシだろう。
会社を変える気はあんまりない。
希望通り長期出張させてくれる会社は
かなりのホワイトだろう。
ホワイトな会社は当たり前だが同調圧力が強い。
社員間でも足の引っ張り合い、
社員⇔派遣社員でも牽制。
職場はつまらないし、逃げ場がない。閉塞感。

年初にひいたおみくじ、色々まとめると
「待ってていれば運は開けそうだよ」
的なことが書いてあって、信じてみて
待っててもなんにも来ない。
アグレッシブ過ぎただろうか。
つかみに行き過ぎたか。
結局今年はいいことなかった。
強いて挙げられるようなことでも
いいなと思ったことはなかった。
アマゾンフォトで去年の今日撮った写真が出るが、
実家に帰ってからの去年の写真が全然出てこない。
写真取ってないからだ。
写真に収めたい特別な出来事も気づけない
脳みそになってしまった。
何かを始めようとしても閉塞感で押しつぶされる。
つまらん人生だ。