アラフォーバツイチおっさんお埴輪ハオのブログ

離婚、実家へUターンしたアラフォーのいろいろ所感日記

国葬と密葬

父親と姉は自殺したので、密葬した。

 

正しくは姉は葬式すら上げてないので、直葬という形を取った。

姉はひきこもりで友達もおらず、誰も線香をあげには来ないだろうという

母親の判断で葬式を上げず、直葬となった。

警察の遺体置き場でオレと母だけで線香をあげ、そのまま火葬場へ直行。

火葬され、骨壺化。その時間およそ3時間。

葬式をしないという選択って、頭では理解できるが、いったいなんなんだ。

死亡確認後、直で火葬される人生ってなんなんだ。

 

父親は密葬となった。

そもそも密葬を行う場を調べるところから始まり、

自宅からはかなり遠い辺鄙なところで行った。

とても悔しく、涙が止まらなかったことを覚えている。

仕事もクビになり、友達もおらず、家でも阻害され、行き場がなくなった結果。

姉と同じだ。

行き場のない人生ってなんなんだ。死んだ方がいい人生ってなんなんだ。

 

どちらも残された家族は、少なくともオレは自分を形成する一つの価値観になった。

人は死ぬときは死ぬ。死にたいとか言わないで死ぬ。

行動を起こすときは、宣言の必要はないんだ。

やりたいことを淡々と行うんだ。

 

国葬が行われた。

建前なのかどうかはわからないけど、たくさんの人が故人について

追悼の意を示している。

父親と姉は誰からも追悼されなかった。

追悼される数の多少ではないけど、少なくともオレの場合は

沢山の人の心に残りたい。

とはいえ死んだらどうでもよくなるのかもね。

 

 

 

未来は僕らの手の中から零れ落ちるほど大きい

感染症が蔓延した世の中で、将来のあるべき姿がわからなくなってしまった。
外に出なければ、感染症にも掛からないし、感染症を広げることもない。
国が緊急事態宣言を出し、対面の商売は淘汰されていく。
オレの知り合いの飲み屋は11月で閉店する。
別の知り合いの飲み屋は、テナントと2年契約なので、2年後店を閉めるだろう。
感染症が蔓延した結果、世の中が大きく変わってしまった。
ほんの偶然の出会いなど、なくなるに等しい。
必ず幸せになるスキームがなくなってしまった。
感染症で業種を変えざる人はどうやって暮らしていくんだろうか。
家族に会えなくなる人はどうやって幸せを求めていくんだろうか。
いままでの方法論が通用しない世の中だ。
そして急激な変化。

変化についていけない人はたくさん居るはず。
我々の目から見えないだけで、悲しいことに存在するんだ。
例えば障碍者。マスクを嫌がって付けないことについて、誰が彼らに理解をさせられるというんだ。
例えば高齢者。レジ前で「距離を取って並んで」に割り込み密状態を作る。誰が彼らに理解をさせられるというんだ。
社会の急激な変化についていけない人は落ちていくしか無いのだろうか。
多様性とはどういうことなのだろうか。
そして偶然に運命の人と出会うということはもうなくなるんだろう。
未来は想像よりも大きくなり、手の中から零れ落ち、持て余してしまった。

人生を幸せに生きる3つの方法、知りたいよね?

人生を幸せに生きる3つの方法なんかかんたんに出来る。
誰でも出来る。すなわち、誰でも幸せに生きていくことが出来るということだ。
今すぐ始めて下さい。

1,飲酒
酒を飲まずにはいられない。酒、酒、酒。
酒を毎日飲み、ひたすら飲み、飲み続け、誰が悪いわけでもない理不尽な出来事に
向かい合わず、臭いものには蓋を閉じ、嫌なことを忘れるため、酒を飲む。
明日の体調など二の次だ。我々は今日を幸せに生きたいんだ。
今日この瞬間の人生を彩ってくれる、酒。
酩酊するための安価な酒を進んで選択しよう。そして飲もう。
今日の一瞬の幸せの為、自らの寿命をささげる。
幸せに生きていくための等価交換だ。
欲しいものがあるなら、捧げよ。
人生、すなわち今が幸せなら、それでいい。


2,対話
いきなりテクい話でゴメン、インターネットというか、
SNSの普及のおかげで昔の人の生活と比べて、人との対話がしやすくなったと思う。
指数関数的にかかわることが出来る人数が増えていると思う。
コミュ障?違う違う。コミュ障なんて存在しない。
ただ、本当のことを言わないだけなんだ。
恥ずかしいのか、プライドなのか、理由なんてものはいくらでもある。
「嫌よ嫌よも好きのうち」てのもあるわけ。
本当の事言おうよ。伝えたいことを伝えようよ。
そうだよね、伝わらないよね。でもでもだって、そりゃ本当の事言ってないじゃん。
「金が欲しい」なら、「給料上げろ」じゃなくて、「金が欲しい」って言おうよ。
「認められたい」なら、「ブログ月PV1000人超えました」じゃなくて、「認められたい」って言おうよ。

オレは「幸せになりたい」んだよ。だから、「幸せになりたい」って言う。
そうすると、SNSでみんなが「オレの幸せ」を考えてくれる。目についたからリプライする。
なんとなく気になったからいいねする。それが幸せじゃない。
コミュニケーションじゃない。
人生、すなわち今が幸せなら、それでいい。

3,絶望
もう諦めろよ。
今後この未来は、様々な事象が複雑になりすぎて、幸せの一点集中、すべてを網羅することは出来ないんだよ。
複雑な事象は未来を想像出来なくしている。
自分一人だけで考えた、ぼくのそうぞうするうつくしい未来なんて来ない。
特にこの2年は想定外の出来事で想定外の変化を遂げた。
今後はさらに短い時間間隔で変化を遂げていくわけ。
時間が加速するんじゃあない。変化が加速する。
変化に耐えられないなら死ぬ、ということが実際問題として起こっている。
変化についていき、更に未来を考えるなんてことはムリなんだ。諦めるんだ。
全て諦めろとは言わない。オレは家族を構築することを諦めた。
この変化の中で家族を持ったら自分が死ぬ可能性があるかもな、と思ったから。
オレの幸せは何かを諦めて得る幸せといまとなっては思うわけ。
間違いなく言えるのは、死ぬのは幸せじゃない。
だから、死なないんだ。
人生、すなわち今が幸せなら、それでいい。
未来なんかない。

カルトの大きな口のなか

日に日に寂しさが増していく。

出会いがない人生を送っているため、もう既に恋愛は諦めている。
人生の苦楽をともに歩んでいってくれるパートナーは、いなくなって初めて掛替えのないものだということがはっきりする。

離婚して、一人の女性の20代の人生を台無しにしてしまったという
十字架をいつも背負っている。
また同じことをしてしまうことを恐れている。
オレの事を好きになってくれても、また無駄な時間を奪ってしまうことになると思うと、何も出来ない。
マッチングアプリなどやってはみたものの、低スペックなKKOとしては
全く勝負にならず、だれからも見向きもされず、
業者のようなアカウントにだらだらとメッセージを送り続けて、
結局金の無駄使いにしかならなかった。

寂しい気持ちは人を狂わせる。
誰かから構って欲しい、そういうわけじゃないんだ。
あなたがオレの事を構ってくれないとダメなんだ。
誰でもいいわけじゃない。誰でもいいから構って欲しいとなると
それはカルトの餌にしかならない。
オレはカルトの餌の入り口に居る。
大きな口を開けて待っているカルト集団の中に
飛び込むオレを待っている。
口の中に飛び込んでしまえば金と引き換えに安心を手に入れられる。
人生の優先順位を決めなければならない。
金か、安心か、自由か、愛か。
いつまでも眠れない夜が続く。

ミャクミャクと受け継がれるいのちのかがやきについてどういう感想を抱くのか

子供を作ることは諦めた。

昔結婚していたころ、元嫁とそういう子供はどうする的な話になりそうになったことがある。
「あんたが決めてよ」と言われ、正直オレには子供を育てることは出来ないと思っていたので
あやふやにしてお話を終わらせた。
その後離婚。理由は聞かなかった。もう1年以上、同居生活は破綻していたからだ。
オレの煮え切らない態度が気に食わなかったんだろうと思う。

世の中が不穏である。
少子化する日本で生まれても幸せになれるはずがない。
メンヘラ気味の元嫁には育児行為は耐えられないと思う。

全て違う。自信がないんだ。
オレに「子供を育てる」ほどの甲斐性が無いと認められなかったんだ。
ダサい男。
子供も育てられないダサい男。
若くして3人の子供を育てている後輩よりも、ダサい男なんだ。
自分はダメだ。
子供を育てていく自信が全くなかった。

10代のころ、あんなにセックスしたかったのは子供を作るための本能だと思うけど、
いま中年になって子供を諦めたら性欲がものすごく減衰したように思う。
朝立ちはするけど、そのまましこしこでぴゅっぴゅまで行かない。
30分くらい作業して、「今回は不発だな」ということで
快感も得られず、賢者にもなれず。
まったく俗物だよ。
昔はマッチングアプリで出会ったナオンと割り切りの関係もしたことがあるが
あれもセックスじゃなく他人の身体を使ったオナニーというだけで
金の無駄だな、と思った。

未来がない、と自覚するのが寂しいんだろうな。
オレが生きてきた、という何か証を世の中に残したい。
脈々と子供に残すべき、命という輝きを潰す行為をして
後悔はないといったら嘘になる。

衝撃的な内容が含まれておりますので、閲覧に注意してください

テレビで人が殺される瞬間を流していた。

「衝撃的な内容が含まれておりますので、閲覧に注意してください」なんて表示がされてあったって
みんなはテレビを見るよう教育されている。
小さい頃から「昨日のテレビ見た?」とテレビ番組がコミニュケーションの根幹を担っているんだ。
だからまず家に帰ってテレビを見る。

母親がとても動揺してしまっていた。
テレビを見て、「一発目撃たれた後の動画があるはずなのに、二発目が流れない」と落ち着きなく話す。
当たり前だ。今のコンプラ、レギュレーションで致命傷を負わせた行為を公共の電波に流すはずがないことは
普通に考えてわかる。
「二発目もあるけど、テレビじゃ流せないでしょ、怖いもん」となだめすかし、座らせる。

何度かの続報ののち、18時ごろ、「殺された」と確定したよ、と伝えてあげた。
事実関係については動揺は全くない。
センセーションな発砲の瞬間について動揺していた。

衝撃を受けた。
動揺を隠せない事件なので、落ち着かないのは分かる。
なだめるのは同居人であるオレであることは分かる。
じゃあ、オレの動揺をぶつけていいのは誰なのか。
オレが泣きたくなったら誰が聞いてくれるのか。
オレがしんどい時は誰が背中をさすってくれるのか。
誰もいないんだ。
孤独、独り、独身、異常。
自分が置かれた立ち位置が衝撃的過ぎて、その日は眠れなかった。
次の日もずっと調子が悪い。
自分の絶望の箱を閲覧してしまった。
今まで見ないようにしていた絶望の箱は、閲覧は注意すべきだった。
余りにも衝撃的な内容が含まれていた。
「お前は孤独だ」と名指しでオレの事を指摘する悪魔のオレがいた。

絶望の箱を見た犯人はいたたまれず、絶望に立ち向かえず
現実、いや偶像に逃げた。
功名心とか、そういうのはなかったはずだ。
絶望の箱。
それは開けてはいけない。見てはいけない。
衝撃的な内容が含まれているからだ。

自分の幸せを他人に渡すな

相対化された幸せは脆い。

「あいつより私の方が幸せ」「これを持ってる私は幸せ」これは
自己がない幸せの形だ。脆い幸せ。
脆い幸せは、形を保つのが本当に大変だ。
常にメンテ、他人の目を見て修正修正につぎ修正、金を得て
砂上の城という相対化された幸せを保つ。
もちろん、砂上の城は簡単に壊れる。

違うんだよ。簡単に壊れる幸せは、不幸じゃないんだよ。
幸せなんだよ。

ただ、脆いだけ。壊れやすいだけ。
ガラスのハート。
脆い幸せは簡単に壊れる。壊れる度に、とても辛い思いを背負う。
これでよかったんだろうか。もっと出来ることはあったんだろうか。

それは、成長。
成長して、人間として軸を置くことで、脆さを補強できる。
補強した幸せは、人から見てもうらやましがられることがない。
憧れられるんだ。
憧れの存在。それが、人間としての軸の補強につながる。
正しい、正のスパイラルなんだ。

自信がなくてもいい、誰かとつながればいい。
それが、軸の補強になる。
つながりが、自分の幸せになる。
幸せを他人に渡すな。
自分の中で、大切に育てようよ。