何のために生きてるか答えを持ってる人はいないと思う。
あんまりその考えにはまってしまうと
オレの姉のようになってしま
皆考えないようにしているんだろうか。
何のために生きてるかを深く悲観的に考えてしまう人と
そうでない人の違いはなんなんだろうか。
この間、ラーメン屋で隣の2人組のばあさん達が
「毎年毎年年末年始の用意をしてるけどしんどくなってきた。
同じ事続けてるけど何の為なんだろう。
何で生きてるんだろうって考えるんだよねえ」
って話している会話を聞いた。
年齢を重ねて老人になったらそこら辺は達観して
あとは死ぬまで悔いのないよう暮らしていくのかなと思っていた。
今、いい歳になって↑の発言の理解が出来る。
なんぼ歳を重ねてもわからんもんはわからんし、
今でもわからない状態で人生を進めている。
真っ暗な闇の中を手探りで進むような感じ。
ただ、今オレの状況は闇の中で立ちすくんでしまっている状況だ。
とにかく前に進めない。
前かどうかわからないと進めない状態になってしまった。
若いときはとにかく進むことが出来ると
成長したと実感が出来たよ
今この歳だとむやみに進むのは気持ち、体力両方がつらい。
特に気持ちの方がつらい。失敗をしたくないし、
無駄骨も折りたく
打破すべき状況かもわからない。
老人まで閉塞感を抱えている世の中ってかなりつらいよね。
オレらが老人になるころは今の老人が抱えている閉塞感より
さらに強い閉塞感を抱えるのかなと思う。年金とか、介護とか。
闇の中を進めば閉塞感の無い生活が待っているんだろうか。
疑問に思う前に進めよってとこだが、進められない気持ちも
分って欲しいんだ。
お金があればこの気持ちもましになるのかなと思って
宝くじを買うわけだが。
もし仮にお金をたくさん持ったとして、この閉塞感が
無くならなかったら本当に絶望だろうなあと考える。
タイトルはおととし別れた女に言われた言葉。
束縛、しすぎたかなあ